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2012-6-13 社長blog
その判断は全体のためになっているのか?
「自分がちょっと我慢したら全体が上手く回る」っていう事があれば、どうします?
やっぱり、我慢しますよね。当然。私もします。この文言だけ読めばあまり異論を挟む余地は無いように思います。
上記の判断が普通に一般論的に行われるのは日本社会の美徳だと思います。そして、それは、世界としては特異であろうということも理解できています。世の中は大多数が相対で判断されているので、固有であることには、それだけで一定の価値があることもわかります。
それでも、ですね。
ちょっと考えています。最近。
我慢を繰り返すことで「我慢の基準がおかしくなってるんじゃないか」という事です。だんだん、自分の中で我慢では無くなってしまった、麻痺してしまったことが増えてしまって、そういう脊髄反射的な対応ではなく、じっくり考えなければならないタイミングでも、反射で物事に対応しているタイミングがあるんじゃないか、という事です。その結果、どうなるかと言うとですね、自分が我慢した結果「全体が上手く回る」はずだったのに、全体のためになってないことがあるんじゃないか、という事です。
大きな視点で言うと、実は、「自分の我慢」は「全体が上手く回る」に貢献していることは少ないと思いますが、大きな視点ではなく、直近の対応に関しても「そこはアラートを上げたほうが良いんじゃないか」と言うことを考えています。
最近、まず何よりも自分が大きくならなければ、自分が引っ張らなければ、という思いを強くしているので、一つ一つの判断も誤ってはならないな、という思いからこんなエントリを書いてみました。
そういえば先ほど同年代の昔の同僚と話をしてきました。年齢的に、簡単な仕事は任され無くなって、「自分で問題を考えて、自分で答える」ようなタスクが増えたね、という話で盛り上がりました。やっぱり、日々自分を磨かないと。まだまだ、です。